2025年05月11日

やさぐれ・だるびっしゅ から 切り替えねば!

ご~るでん・やさぐれウイークも既に過去の日々になり ただ疲れだけ残っちゃってます。やたら肩が張ってる感じで だるびっしゅ気味。と言って寝込むわけじゃないんだけれど。毎年こんな感じ。今年は通院介助がGWと重なっちゃったから余計に あ~面倒くさ~っ。って。毎月通院介助が月末と月初めにあるんですが 月初めは週明けなのでデイ・サービスも休まなくてはならないので 親は四日間家にいるから 朝から晩まで。ストレス溜まっちゃうのでした。先週の記事で敢行した二時間(ちょっと)だけのバカンスは カテゴリー化しようかな。そしたらブログと一石二鳥になるかも。あ~ このブログも またさらにごった煮になり様な予感。💧あ!これは関係ないんだけれど 先週ローマ教皇の選出ってあったでしょコンクラーベって言うの!あの話題を見聞きするたびに ”根比べ”が 過るんだよね。根比べは 実際あったのかね?💣
  
食材の買い出しの時 公園に寄ったら 花を見る暇もなく かりんの実が大きくなってました。郵便局通りの かりん並木も観察に行かないと。😃
  
かしわ餅も 数回食べました。(これは 味噌餡の!)
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🎵さ~てと 今回の一曲は引き続き 40年前(1985年)の今頃のヒット曲から。この頃って 徹夜続きでも ぜんぜん問題ないくらいだったんだけれどね。もう最近は眠気に勝てない。そうなったらもう寝どこに入ったら すぐに寝落ち。でもね何度か目が覚めちゃうんだよね。それでも起きないで寝る。そうしてないと次の日が きつかったりするからね。でも当時 資格勉強もそう真面目に根詰めていたわけじゃないのに なにやってたんだろ?思い出せない。😵遊びまわって出かけてたことは無いから 秘密基地の中で何かしてたんだろうけれどね。📺深夜番組なんかも 見てたわけじゃないからやっぱり音楽聴いてたのかな。💿CDプレーヤーまだ持ってなかったよな。初めて買ったCDソフトが 1986年04月01日リリースだから フラゲだとしても やっぱりレコード買ってたんだろうな。もうこの頃ってお抱えのレコード屋さんがあったから新譜は予約してたね。
そんな頃 人気も頂点に達し音楽だけじゃなくて映画にも進出した(当時は)アイドルバンド。大ファンというのでもなかったけれど シングルは毎作買って聴いてたけれど 人気も飽和状態になりつつあったのかな。まだまだ自身の作品じゃなくて職業作家が書いていた頃の作品。彼らの映画でも 存在が作られたようなニュアンスを漂わせていたけれど もう数作品先に自らの音楽を発表し 本来目指していたスタイルに移行して行く 脱アイドル前のお祭り騒ぎ頃だったんですね。この頃 嬉しくは なかったけれど藤井フミヤに似てるって言われた事あったYO。おいらは弟の方(ナオユキ)が カッコイイと思ったんだよね。。。そっちの方が嬉しかったな。。。💣
 「あの娘とスキャンダル」 チェッカーズ 1985年03月21日発売 6枚目のシングル。1983年09月「ギザギザハートの子守歌」で メジャーデビュー後 当初はパッとしない時期が続くのですが 二枚目となる「涙のリクエスト」をリリースすると同時に一気に大ブレイク。当初は 彼らがやりたいと理想とする音楽ではなく 所属音楽事務所としては異例のアイドル的路線で中高生から人気に火が付き始めると デビュー作 セカンド そして三枚目となる「哀しくてジェラシー」がリリースされると三作品が同時に 週刊セールスランキングのベストテンに同時ランクインするほどの人気が爆発。まだバンド形態のアイドル的存在の大成功は例が少なく ここまでのフィーヴァーぶりは 1960年代末のグループサウンズに匹敵するかそれ以上の社会現象に。続き「星屑のステージ」「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」とリリース。後者作品は最大のヒットとなり約70万枚の特大ヒット。まだミリオン・セラーが国内では記録的な時代でした。この作品は彼らが主人公となる映画の主題歌。そんな彼らが映画作品の中で 自身の存在を人を化かす タヌキになぞらえ(アイドル的存在を茶化すように)人気者に化けて 現実の彼らの成功をなぞるように ややアンチ的思考を臭わせながら ストーリーは進んで行きます。やがてスキャンダルに巻き込まれるんですね。挙句の果てに タヌキが人気者に化けていたという本来の姿がばれてしまい活動を諦めて育った森へ帰ることを決意。その最後の無観客のステージをテレビで放送するのですが 熱狂的なファンが タヌキだっていいじゃない!と擬人化した彼らを受け入れる(つまりアイドルという存在が作られたものだっていいじゃない!好きなんだから!と。)森へ帰ろうとしていた彼らを取り囲み そんなファンを受け入れるという なんとも現代の作られた人気者の存在感や 業界の裏を皮肉った様な作風の映画作品が かえって面白く描かれた作品だったのかなって思ったんですね。この頃 それまでの所属音楽事務所から移籍するんですね。
やがて彼らは「俺たちロカビリーナイト」「神様ヘルプ!」「OH!!POPSTAR」「Song for U.S.A.」(2作目の映画主題歌)と連続ヒットを発表後 自らのバンドが 作詞・作曲・アレンジのすべてに関わり制作することにより 本来の願望だった活動に無事移行出来たんですよね。その後の作品は名作も多いけれど おいらは だんだん冷めて行ったな。バラエティーにも進出してたね。木梨のり子(きなJのりこ)と コントもしてた頃。宮沢りえも出てたね。1992年末 解散。おいらは デビュー当時から あまり得意じゃなかったんだけれど 結果的に 藤井フミヤ(郁弥)のひとり勝ち(個人的見解)になっちゃったのがちょっと残念だったかな。まぁ それが現実(彼の才能や人気は やはりすごいものがあったものね。)なのだから仕方ないけれど。

同時期に チェッカーズの大成功により C-C-B や SALLY をはじめグループの人気が高まったっけね。
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先日 ハイビスカスの鉢の土を入れ替えたんだけれど もうつぼみが幾つかついている。ある程度落ち着いたら株分けもしないと。
  
一番上の画像と同じ日に 買い物ついでに海(港)の方に行ったら 群れで鳥が飛んでた。あとでWEBで調べたら この日見に行った海べりをかなりの数が飛んでいるのを 目撃されていて カワウの群れだとか。次から次から飛んできて 天変地異でもあるんじゃないかと思うくらい。😵テレビのニュースにも なっていたようです。この画像の後もひっきりなしに 集団で飛んでゆきます。でも YOUTUBEで見たニュース動画よりは少ないんだけれどね。近くに谷津干潟があるから あの辺りにもたむろしてるのかな。右側の白いのは 新型の雲☁じゃなくて月🌕。
  
そして今回最後の画像は だいぶ前に撮ったんだけれど出しそびれていた ゑびチャーハン。とし@黒猫さんの記事に触発されて食べたくなったから作ってみたYO。盛り付けてから あ!むきエビをトップに乗せればよかったって・・・あうっ!

あ~いつもは 木曜の夜か金曜日に記事を書いてるんだけれど だるびっしゅ気味だったから土曜日の午後になって書いてます。あ~ほんとに 一日の時間が早すぎ。💨💨💨今週も なんか良いことあることを ぷち期待して前向きに行きますかね。 次回更新は 5/18 0:00の予定です。📝幾らか陽気は安定しましたが まだまだパッとした陽気じゃない感じです。みなさん体調崩されませんように。今回は このあたりにて。ぐな~ぃ!

📖 article no.1554
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☔| Comment(92) | 1985年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月04日

川風を感じにゆく。

五番目の扉が開きGWも後半。どこかへ出かけて普段を忘れ満喫したい~っ・・・と思っても やっぱり長時間家を空けられないし 経済的な余裕もなく普段と変わらない生活はつづく。😞そんな中で ぷち心花(ときめき)を見つけて 散策する二時間だけのバカンス。今回も 次の日の予定を前倒ししてこなし電車に乗る。4月も終わりの昭和の日。13:00発の電車は思ったより混んでいるけれど 心ははせる。日が暮れるまでには帰ってこなきゃいけないから。(ちょっと画像多めになるかも。)
先日WEBニュースで さだまさしさんが 中学生時代の一時期を過ごした東京・葛飾区の 二つの小学校の統合にあたり 校歌を作詞作曲して贈ったと。そうそう!隅田川に行った日に 帰り寄りたいなと思っていた地でもあったんですが タイムリミットが来ちゃってあきらめた橋を見に行こう!それが今回の目的。😃京成押上線に揺られて着いたのは 四ツ木駅。おいらは興味ないんだけれど キャプ翼(⚽サッカー漫画 キャプテン翼)ファンにとっては聖地の街。でも おいらは もう一つの聖地に向かって。
  
葛飾区と墨田区の間を流れる 綾瀬川と荒川を跨ぐ 木根川橋。この橋は 先ほど書き出しで触れた さだまさしさんの4枚目のアルバム『夢供養』に収録され 中学時代の思い出を綴った「木根川橋」という作品のタイトルになった橋。なんども行ってみようこの界隈を散策してみたいと どれくらい前から思っていたんだろう。今では 机上のWEB上の地図でいつでも出掛けられるのですが 新緑も芽吹き 川風に吹かれて運動不足解消のウォーキングをしたかったから赴いてみた次第なんです。桜の頃にふもとを歩いた東京スカイ・ツリーも見えます。
  
近くには 首都高速中央環状線の葛飾ハープ橋も。ブログを始めた頃 お近くのブロガーさんの記事でも拝見していつかは見に行ってみたかった。高速では幾度も走っているけれど 見えるのはハープに見立てたワイヤーだけ。巨大な建造物だから近くで見るのは怖いから遠目で見て。そして今この写真を撮っているのは この街で育った(。・_・。)2kさんのブログにも幾度となく記事に登場している 東四つ木避難橋の欄干から。
  
気温は高めなんだけれど 引いていた潮が満ち始め川風が とにかく心地いい。まだ潮の香には早いのかな。橋を後にして 懐かしい雰囲気がのこる 小学校や近隣公園を巡って駅に戻ります。懐かしいと感じるのは おいらの父親がこの街の南側に位置する江戸川区・南小岩で育ち まだおいらが子供の頃は よく親戚宅へ出かけて似た雰囲気を覚えていたから。界隈の下町の路地は 何と言ったらいいのかな 住んでいる街とは違った独特な雰囲気を感じたんですね。狭い路地をはさんで 沢山の家が空地もないくらいならび 密集しているんだけれど その昔は 今は暗渠(あんきょ)となってしまった水路が流れていてコンクリートのどぶ板通りがあったり 昔は 車も入ってこないようなところで 子供たちは日の暮れるまで ワイワイと賑やかだったり。何処からか 七輪で焼く魚の香りが流れてきたりね。隣家の声が聞こえるような。もっと田舎だったおいらの家の方とは違った 生活感を感じられる街。(否漢字で書くと 町が似合う。)しばしそんな 雰囲気を思い出しながら 地図を思い浮かべ歩いた。今は ご近所づきあいって希薄になってきましたが おいらが見たその頃の風景は 町中が皆家族のような町。東京下町ってそんなイメージが いまでもいろんなところに残っているようで。ここから北東地域に行くと 寅さんの舞台となる柴又も近いしね。さださんの歌の登場する東四つ木の町は 今の日本が忘れてしまったような 懐かしさが 今でもきっと 姿を変え見えなくなってしまっても 残っているように思えて。(後半に続く)
  
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🎵さてガラッと
変わって今回の一曲は 40年前(1985年)の今頃のヒット曲から。この頃 おいらは18歳。いろんなことがあって家庭の中も変化があり いろんなことに迷い始めていたっけ。でも止まっているわけにもいかず 大検の受検準備に入ったり アルバイトで仕事覚えたり 変化が大きくなったのもこの頃。父親がいなくなったから 家の中でも何かと責任を持つようになってたね。同級生は進学したり就職したり。何をするにも自身の責任が大きくなるわけだから 焦るしね。といって相談すると言っても おいらの歩きだした道は ちょっと違った道だったから手探り。今みたいにWEB環境なんかないからね。今と そう変わりないのかも。でも敷かれたレールの上では見えない 否見る必要のない世界も いろいろ見て来たし。それが良かったのかは判らないけれど 経験値になったことは良かったのかも。(脱線の予感)で そんな頃も音楽はいつも周りにあって ひとときでも日常を忘れる瞬間は 荒んだ心も高揚したっけね。今回の一曲は 今聴き返してもひとときの居心地の良さを感じる一曲。何もかも忘れて大胆になりたい。そんな歌詞のような 夢を追いかけていた頃の気持ちになれる清々しさの原点に帰ることが出来そうで。それは 誰の足跡もない 夏の砂浜を波打ち際に向かって 思いきり走り出すように。
 「Summer Beach」 岡田有希子 1985年04月17日発売 5枚目のシングル 前年4月に竹内まりや書下ろしの「ファースト・デイト」でデビューするやいなや トップアイドルに。そのデビュー当時は どこか頼りなさげな感じで アイドルとして売りの笑顔もどこか曇りがちというか 優等生的で硬い印象がありましたが そんな芸能人として染まり切っていない初々しさが かえって好感を呼んだのでしょうね。デビュー当時 そんな彼女は ちょっと苦手かなと思っていて おいらが感じたのは とうとうアイドルの存在が 自分の年を下回ったんだなと実感。彼女は同い年なんですが おいらは早生まれなので 学年がひとつ上なんですね。前々回の 本田美奈子.や 南野陽子とは 堀越高校の同級生。その後 アイドルは 低年齢化するばかり。おいらはだんだんと興味がなくなってゆくんですね。この年7月には 問題になっているテレビ局がらみで 多人数アイドルグループが台頭するようになって さらにおいらは興味が薄れてゆきます。なので 彼女あたりの 1985年組アイドル以降は なんか作られたような存在感が否めなくなって行くのでした。そんな あまり興味のなかった岡田有希子の歌を聴いてみようかなって思うようになったのは デビュー翌年。デビュー三作品「ファースト・デイト」「リトル・プリンセス」「ーDreaming girlー 恋
、はじめまして」と やや詞の面で幼い感じの作品から 等身大的な作品となった 尾崎亜美提供の「二人だけのセレモニー」から。今作ともに 春の微風のような疾風感があって悪くないかも!って。どして今回の「Summer Beach」。彼女のシングルでは おいらは最高傑作だと思うんですよね。ちょっと奥ゆかしいというか奥手っぽかった それまでの作品を打破するような プチ大胆な詞の面といい やや淡い感じはするんだけれど サンバ調のリズムと 松任谷正隆アレンジによる派手過ぎない爽やかな軽快感(松田聖子「渚のバルコニー」に近い雰囲気?!)に おいらはざわざわしちゃうのでした。イントロや曲間 ラストのコーラス 間奏のサックスも秀逸。彼女には申し訳ないんだけれど レコーディングに使用されたバッキングの オリジナル・カラオケだけでも十二分に 完成度は申し分ないと思うのですね。そこに ちょっと前向きになった彼女の それでいてちょっと頼りないんだけれど 一生懸命に歌っている感じが 購買意欲を押してくれたんですね。どっちかっていうと それまで同期の菊池桃子推しだったんだけれどね。
先日も 車で聴いてたんだけれど もうイントロから背中に寒気が走るの!ざわざわ。メロウなイントロなんだけれど 次第に 朝の海から陽射しの強まる時間帯の夏の浜辺を想像しちゃう。それだけで ざわわ~ あの頃の夏は 大変な家庭の事情もあったけれど つかの間の夏は 今でも 青春の欠片がキラキラしていたかも。熱く焼けた砂浜と 狂おしい潮の香りを運ぶ海風 ちょっと温い波打ち際 やがて風がおさまり 流れ来る日焼けオイルの甘いココナッツの香り。さいはての海水浴場は 今も変わらずにいてくれるのかな。。。この作品を聴きながら歩いたら 心の中だけでも あの日にかえれるかな。。。海の家の 焼きそばとカレーの香り 未成年だったけど
 プルタブを開けて飲んだビール?カンパリだったかな?ラジカセから この曲が流れて。

まだ車の運転免許は持ってなかったな。この年だったかな?海に行った時 どんどん黒い雲が湧き上がって スコールみたいな雷雨に降られて 雨に濡れた砂浜を さらに打ち付ける雨と鈍い色の海を初めて見た。それが通り過ぎると一気に真夏の空が戻り 砂浜も一気に乾いて。今年の夏はどんな夏になるんだろう・・・。
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(前半からの続き)
  
駅に戻ってから 二駅戻って 京成青砥駅で降りて 別の川沿いをひたすら歩く。この日は計7.5kmくらい歩いたんですが ペットボトルの飲み物を持っていて良かった。街中にはあった自販機が 川沿いに行ったら全く見当たらない。持たないで歩いていたら熱中症になっていたかも。汗びっしょりだったしね。常時水分塩分補給出来るように用意して もう汗をかく前に飲む。そんな季節になりました。(画像は四ツ木駅構内のファミマ)
  
この川は 中川。なんか疲れたなと思って 近くの京成高砂駅から電車に乗って帰ろうと思った頃 昼間なのに ひと気の全くない怪しげな住宅?町工場街?(祝日だからか・・・?)を進むと 鳥居が!鳥居みゆきじゃないよ!神社の鳥居。惹かれるように 鳥居をくぐり手水舎で清め 本殿をお参りさせていただいたら・・・
  
左の柵の方には 神聖なる大きな池(怪無池というらしい。)が。でも水面が見えないほど緑の藻のようなものが覆っていて ちょっと不気味。さらに奥の方には 川岸に出れるけもの道。なんかヤバそうな感じがしたけれど。
  
そしたら ひゃ~ぁ!朽ちた井戸?殺風景な雰囲気に さいはて感を覚えてしまう。そしてその井戸に近づいた時 何時のことだか過去に ここに立っていたであろう姿なき人の気配を感じた。間違いない!ここに誰かいた。興味深げに井戸のポンプに近づこうとしている人が。そしておいらは 襲われたの?!気を失った。。。あうっ。(USOですっ。💧)その見知らぬ 先におとづれた人の気配に 私も今 ここへたどり着けたことを報告。いったいその気配は誰だったのか。ぐふふ。 更にまた いつか次に ここをおとづれる誰かに 念を送りまする~ぅ。 青龍神社・・・怪無池には 龍が住んでいるのだろうか?
けもの道を進み 川岸に出て 再び川風に吹かれ 何かを感じ さっき歩いた向こう岸の家並み や 近代的な建物をしばし見つめて(なんとなく 何故か気を送って。。。)から駅へ。
そして 
柴又まで行って 草だんごを買う気力もなく。成田方面の電車へ。車内で見たペンシルベニアから観光で来た ボリーン と スーザンと思われる(勝手に名前つけるな!💣) うとうとするトラベラーの顔を 薄目で見てたらおいらも うとうと。二時間だけのバカンスは 終わってしまったのでした。

次は 何時出掛けられるかな。GW?二時間だけのバカンス(下町・川沿いを歩く編 その2)終了。

さ~てと 今回は 記事が長くなっちゃいました。次回更新は 5/11 0:00の予定です。📝陽気が良くなってきましたが 食中毒の発生が一番多いのも5~6月。みなさまも ご注意くださいね。今回はこのあたりにて それでは ぐな~ぃ!

わすれな・めも ・・・ 20250508 0:30 昨日午後 庭木の消毒 ハイビスカス鉢の植え替えを済ませ 100均で買ってきたハナヒシソウの種 と ミニヒマワリの種をプランターに蒔いた。

わすれな・めも2 ・・・ 20250508 15:00 今日の午前中に髪を切ってきた。まえに利用したいたところが 閉店になった
ので 系列店に移籍。一回目。

わすれな・めも3 ・・・ 20250508 19:30 今日の夕方 ゴーヤー苗を3株植えた。

📖 article no.1553
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☔| Comment(100) | 1985年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月27日

世間は GWなんだね~。

風薫る五月も目の前。今年も あの草臭い青臭いというか むせ返るような緑の香りがどこからか流れてくるのでしょうね。ゴールデン・ウィーク・・・皆さんは予定ありますか?関西万博も開幕したし 海外からのツーリストもますます増えて どこも混みあうんだろうな。時間的にも経済的にも余裕ないし 二時間だけのバカンスは ひと気が少なくなった頃に出かけられたらいいんだけれど。期待するのはやめておこうかな。😞すこしづつ時間があるときに 断捨離という程ではないけれど 少しづついらないものを片付けて捨てて。そんなGWになりそうな予感。
あ!記事内容と関係ないんだけれど ブログが完全移行してまもなく一カ月。ここにきて なんか違う?と思っていたことが またひとつ判明。記事を書いている時は判るんだけれど 記事画面に 何記事目という表記も無くなったんですよね。この記事は 1552記事目なんですが セカンドとサードブログの記事は メインの記事にコピー元として書いた非公開もあるので一体何記事目なのか数えないと判らなくなってしまいました。今度から テレビドラマの何話目みたいに 何記事目って書こうかな。
  
公園は つつじ や さつきが満開。白・赤・ピンク・斑入りがそこら中に。冬場に殺風景だった生垣が嘘みたいに華やかすぎる。藤 や 菖蒲池はまだみたい。近所の公園は他と比べると遅めなんですよね。
  
ハナミズキも見頃。あまり好きな感じの花じゃないけれど 新緑になった桜の木の中で 白や薄紅の花が存在感をアピールしてました。
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🎵さてと それでは今回の一曲です。なんとも歌詞の季節感が違うので ちょっと様子見で時期を引っ張っちゃいましたが 今を逃すと年末になっちゃうので重い腰を上げるのでした。1975年(半世紀前)小学校3年に進級したおいらは その頃の記憶ってあまりにも変わり映えしないような頃だったので 記憶が薄いんですね。流行歌も前年あたりからの フォークブームで 子供が腰を据えて聴くようなタイプではないから ヒット曲も良く判らなかった。この年は 山口百恵さんは比較的地味目な作品が多くて ライヴァルであった桜田淳子が飛躍してトップの座に。そこに 伊藤咲子や人気がひと段落してきたアグネス・チャンやら浅田美代子が後を追って この年のアイドルは地味目で不作気味の中 じわりじわりと次のトップを目指す岩崎宏美が注目株となっていて頃。でも 全体的に相変わらず演歌は強いし 前出のフォーク系作品(フォーク系のアーティストが流行歌手に作品を提供も多かった)が ヒットチャートを賑わせていました。今回の一曲は 今でこそ昭和の名曲だと理解してますが 子供だったおいらは 苦手だったな。テレビで フォークギターを抱えながら歌われる人も多かった気がするのでした。季語としては 春に当たるようなんですが 今回の一曲のタイトルに掲げられた花は クリスマス時期に花屋さんの店先に並ぶイメージが強いので 春真っ只中の今の時期には もう終わりかけに思えてしまうのです。
 「シクラメンのかほり」 布施 明 1975年04月10日発売 35枚目のシングル。1965年5月にカンツォーネ(イタリア)の名曲「君に涙とほほえみを」のカバーでデビュー。まもなくデビュー60周年となるんですね。(脱線しちゃうんですが デビュー当時の写真が 植木等さんにそっくり。植木さんの芸風を引きずっちゃいそう。💣でも当時は そんな細面な雰囲気が今でいうイケメンだったんですよね。後の沢田研二さん然り。)大手芸能プロダクションに所属されて 並外れた歌唱力で 「おもいで」「霧の摩周湖」「恋」「愛の園」「愛は不死鳥」「そっとおやすみ」「マイ・ウェイ」「甘い十字架」「積木の部屋」等々 次々大ヒットを世に送り出してきました。
デビュー10周年ということもあったと思いますが 決定打となる作品「シクラメンのかほり」を フォークシンガーで当時銀行員だった小椋 佳さんから提供されるんですよね。小椋 佳さんは あくまで御自身は銀行員という立場を屈せず音楽活動は ほとんど表舞台に姿を見せない謎の存在でもあったんですね。しかし その人気は フォークブームに乗りアルバムは常に売れ続けチャートの上位に君臨しロングセラー作多数。しかし作品を提供された 布施 明さん自身は 乗り気ではなくこんな作品売れないと歌うことを渋っていたとの後談も。しかし いざリリースされると 当時としては珍しく発売直後に 週刊売り上げチャートのベスト3にランクイン一か月後には 初の首位を獲得。異例の大ヒットに。約4カ月間のベストテンヒットの後 次のシングル「傾いた道しるべ」と入れ替わるように ランキングを下げて行くのですが その後もじわじわとロングセラーを続け 年末の多くの賞レースにノミネートされると再度ベストテンに二作同時ランクイン。さらには作者本人 小椋 佳 盤「めまい/シクラメンのかほり」も 同時にベストテンにランクイン。小椋 佳ブームに拍車がかかった 1975~6年の年末年始チャートを賑わせました。そして布施 明は 念願の 日本歌謡大賞 日本レコード大賞の二冠を達成。小学三年生のおいらは 子供心に重い雰囲気を感じさせる この曲があちこちから聴こえてくるのが 嫌でしょうがなかった。同じ時期に「木綿のハンカチーフ」太田裕美 化け物ヒット「およげ!たいやきくん」子門真人 等のヒットで子供でも好きになれそうなヒット曲が出るようになり レコードというものに興味を持ち始めるんですね。そして年が明けて翌年のお年玉で 岩崎宏美「ファンタジー」を買い 今まで続くコレクターの道を歩き始めることに。ほんとは 以前も登場した となりに住んでいた変わった姉さん(ヤブカラシの花を気に入って家に持ち帰り 水の入ったコップに飾り 母親に汚いから捨てなさいと諭されて おいらに愚痴こぼすんだもん。でも変わった姉さんのおかげで 「木綿のハンカチーフ」も知ることになるし アップル・パイというものを知るきっかけになったわけで・・・。まぁ良しとするのでありました。あ!おいらが変になったのも彼女の影響なのか?!それは判らない。)
脱線しちゃったけれど あれから随分と時が巡り来て 疲れるということを知るようになったから「シクラメンのかほり」の歌詞は胸を打つようになるんですよね。もう呼び戻すことが出来ない時間。。。惜しむ気持ちは どうしようも出来ないけれど 如何に前向きでこれからをと 学校帰りのうるさいくらいに賑やかな子供に おいらのあの頃を重ねるのでした。

1975年・・・沖縄海洋博行きたかったな。。。この年は 他にも 紅茶きのこ ネッシー騒動 ジョーズなどのキーワードが賑わせましたっけ。ザ・ピーナッツが解散したのもこの年の4月。
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運転中通りかかると 何気なく視線を感じる 自転車修理屋さんのマスコットキャラ?!R14 西船橋 中山競馬場入口交差点付近。これから暑くなっても帽子被って店番するのだろうね。(意味は ないのですよ。)
  
こちらも 飛び立つ準備になったようですね。

先日 雨あがりの日だったのかな?外に出たらかなり湿気を感じて汗びっしょり。今年もお色直し時期が来たのかと実感したのですが やはり気温よりも湿度の方が身体へ負担も多いです。まだ身体が陽気になれていないと 気分悪くなっちゃったりだるびっしゅ気味になってしまうことも多そうです。みなさまも 体調崩されませんように。今年も 早めの水分塩分補給が必須になりそうですね!
ちょっとストレス気味なのか 右腕の微妙な腱鞘炎と 左手 母指球筋辺りの微妙な痙攣がある時があるので ゆっくりまったりで様子をみています。大したことは無いんですが 月末やたら忙しなく動いていたからかな。コメントのお返し みなさんのところへのお邪魔たいむ ぷち・ゆっくり回りたく思っています。
次回更新は 5/4 0:00の予定です。📝 今回は このあたりにて ぐな~ぃ!

📖 article no.1552

 ついき ・・・ 20250501 0:00 明菜ちゃん デビュー43周年(スローモーション記念日)おめでとう!
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☁| Comment(105) | 1975年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする