2025年06月15日

梅雨入りの前でよかった。。。

💡今週は 全国的に警報的な暑さ予報 
  35℃超え予測の日も 高温多湿注意💡

梅雨入りしてしまった南関東ですが タイムリーなもので暦の雑節(二十四節気の補助的な役目の特別な暦日)の前日に梅雨入り宣言がありました。先週の土曜日に こ〇ん星のコンタクト・ポイント(千葉県茂原市)に ドライヴに行って来て正解でした。茂原市は 千葉市の南東に位置して外海までそう遠くない所なんですね。子供の頃は 親戚宅が近くの町にあって 夏と冬に年二回ぐらい出かけていました 地理的には道路地図も頭に入っているので 流すくらいに行けるところなんですが 親戚付き合いが無くなってからは 若い頃に海水浴に行って以来 外海は真夜中にドライブで行くくらい(ブログでも何回か記事にしたんですが 御宿とか NPDハウスが炎上した勝浦の方 あとは館山まで南下して千葉半周とか。)で 昼間の海は 十数年見てなかった。でもここ(茂原)まで来ちゃったから 行っちゃえ!とばかりに九十九里浜の南部に位置する 2021年の東京五輪のサーフィン競技の会場になった一宮海岸へ(五輪会場のモニュメントのある方へは行かなかったけれど)。🚗
  
高校の頃は 初日の出を見に来たりもしたっけ。海水浴へは ここより少し上の方(九十九里町片貝 や 山武町蓮沼界隈。九十九里ではないけれど御宿とかも行ったことあったね。)へ。春先に内海(南房総市富浦町 原岡桟橋)に行ったけれど 海水浴は外海のある九十九里が多かったね。
  
やっぱりね 内海と違って波が荒いんだよね。近くの駐車場に車を止めて とぼとぼ歩いて浜に出たら潮騒は違うねって判った。まだ泳ぐには早いけれど サーフィンをしに来てた人は かなりたくさんいたよ。それに気温の高い日だったから海を見に来てた家族連れも結構出てた。釣りする人も。
  
30分くらいは 砂浜歩いたりしてたのかな。帰る時には髪が潮風でべたつくくらいに。先週のニュースで 湘南の海(江の島の手前 鵠沼あたり?)は 海の家を早くも準備してたけれど こちらは まだ時期尚早なのかな。これから入梅って言ってた時だったから。
  
このず~っと先の方に九十九里浜が 永遠と銚子の方に向かい続くんですよね。どこらへんかは知らないけれど 一宮海岸にキムタクとか工藤静香もサーフィンしに来てたとかよく噂は聞いてたYO。脱線しちゃうけれど [波の数だけ抱きしめて]って映画に出てきた”chp”っていう 実際にある老舗のサーフボード専門店があるのもこのすぐ近く。映画の撮影にも使われて 若かりし頃の松下由樹が店にスクーターで突っ込むシーンなんかもあったね。しばらく たたずんでいたかったけれど 週末だし また千葉の手前で混んで 裏道使っても二時間近くかかりそうだから 現実に戻っちゃった。帰ったら夕飯作らなきゃいけないから余計ね。。。😞でも (いつものように)それくらいがいいんだろうね。と ごまかしながら オンショアの風に背を押されて。
  
この日は 26℃くらいだったけれど もうちょっと気温が高かったら 足だけ浸かっていたかも。遠い記憶がリフレインしそうな さいはてのすたるじぃ。「遠い海の記憶」石川セリ を聴きたくなったのでした。
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🎵さてと 今回の一曲は 半世紀前の1975年の6月にリリースされて大人気を博したヒット曲。前に1975年のシリーズの時に書いたんだけれど フォーク系のヒット曲や演歌・歌謡曲が比較的チャートの上位に食い込んで 大人の歌が多かった年でした。その中でも とびっきり輝いていたのが 今回の一曲の女性アイドルなんですが 前年はライヴァルの人気爆発でやや押され気味な感じもありましたが 前年年末に発売された 唯一の首位獲得曲「はじめての出来事」からリリースする作品が大ヒット。そのライヴァルも「湖の決心」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望/ありがとうあなた」等ヒット曲がありますが やや女優業にシフトされていた印象も強く ヒットチャートでも切磋琢磨しながら イメチェンのきっかけとなる翌年の「横須賀ストーリー」までは ちょっと水をあけられるくらいの印象が強かったのでした。後のスキャンダルは別としてあえて触れませんが この頃は押しも押されぬ大人気で その後のファンの応援の仕方に大きく影響を与えるくらい 男性ファンの応援の声は 歌をかき消しちゃうくらいの勢いでしたっけね。
 「十七の夏」 桜田淳子 1975年06月05日発売 11枚目のシングル。前年末発売作品で年明け早々 初そして唯一のヒットチャート首位を獲得した「はじめての出来事」に続くセールスを上げを 週刊チャート最高2位 約40万枚の大ヒットになりました。この頃は 台詞の入った「花物語」「花占い」と共に 鼻にかけた声と舌足らずっぽく 歌まねをする人も結構いましたっけ。おいらも似てないけどやったことあったな。♪と く べっ~にぃ あぁ~いしてぇぇよぉ~・・・とか。。。💣前書きでもちょこっと触れたんですが 1975年から1976年にかけての 彼女の人気は女性アイドルの中でも トップ中のトップで ライヴァルである山口百恵さんが やや女優業([赤い疑惑]をメインに)にウエイトを置いたこともあり ヒット作は出ていたのですが どちらかというと地味目の作品が続き 翌年のイメージチェンジを前に作品も模索していたんじゃないかと思うのです。「湖の決心」「夏ひらく青春」「ささやかな欲望/ありがとうあなた(ドラマ[赤い疑惑]の主題歌)」「白い約束」翌年第一弾「愛に走って」と。対する桜田淳子は「ひとり歩き」「白い風よ」「十七の夏」「天使のくちびる」「ゆれてる私」翌年「泣かないわ」「夏にご用心」「ねぇ!気がついてよ」と続き アイドル歌手としては絶頂期を迎えていたわけなのでした。そして新たに 1975年組の 岩崎宏美と太田裕美 が追いかけてきているんですね。桜田淳子の作品はやはり 軽さが一番の魅力で 中期の代表作 中島みゆき作品「しあわせ芝居」から 大人っぽい作風にシフトして行くのですが セールス的にも落ち着きを見せるようになり 彼女もまた新境地である 映画・ドラマやミュージカルへと女優業へと本格的にシフトをしてゆくのでした。1975年には 寅さんの[男はつらいよ]への出演 また初の主演映画[スプーン一杯の幸せ](落合恵子 原作)も話題になりました。歌や演技をはじめ多方面で アイドルとして一番輝いていた時期だったんじゃないかな。彼女の魅力は すこし生真面目過ぎちゃう面もあるんですが 純粋な正統派のアイドルであるところが 大人の女性へと路線移行して行く際に 少しイメージが強すぎちゃってネックになっちゃったようにも思えます。しかし先ほどの中島みゆき作品で ややアクの強い作品を歌うことにより 女優としても良い方にスライドしたのでしょう。この頃から バラエティ番組のコントも話題になりましたっけ。”私ってダメな女・・・”とか 志村けんさんとの夫婦コントも人気でした。わざとらしいという声もあったけれど それもまた彼女の生真面目さゆえのたまもの。それがやはり個性なんだろうね。
「十七の夏」は それまでの純情作品から ちょっとアバンチュールを感じさせ 結構鼻にかかった ねばっこい歌いまわしも印象的。翌年の「ねぇ!気がついてよ」と共に ただ歌うだけでなく演じるような表現力も見え隠れしていました。後期の作品はあまり大ヒットというのは無いんだけれど 演じるように歌い上げる歌唱は 確立し始めてたんだろう。”・・・この花は私です。やっときれいに咲いたのです。”と。あの頃には すでに。。。

共にデビューのきっかけとなったオーディション番組[スター誕生]と 同じ所属レコード会社の後輩となる 小泉今日子が 1987年に歌った「Smile Again」というヒット曲の間奏で オカリナを演奏するのだけれど その演奏部分に「十七の夏」のサビがオマージュとして使われているんですよね。
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6/10 関東は梅雨入り。買い出しの時にちょっと止み間があって近所の公園の菖蒲池を見たら満開。あいにく しずくがいっぱいだったけれど 晴れている日より新鮮に見えるのは やはりこの季節の花だからかな?また海を見に行きたいけれど 梅雨が明ける頃には 海開きしてるだろうしね。無理かな。千葉公園のオオガハス祭りも始まっている模様。早朝だったらとんぼ返りできるかな。そのうち 暑い暑い💦💦ってことになるだろうから 行ける時に見に行ってきたいね。2025年の夏はどんな夏になるんだろう。とにかく おいらもだけれど 高齢の親も暑い夏を乗り切ってもらわなくちゃ。そうそう先週書いたストーブ片付けて扇風機を出した。エアコンはまだ使わないけれど 洗濯物を部屋干しするのに 早速使い始めました。渇水も困るけれど 週2~3日はからっと晴れてほしいね。洗濯物乾かないのも こまるのだよ~っ。
   
先日見た 地域ねこ。さびにゃんなんだけれど 写真撮ったらビームが出たYO!🐱外にゃんも 雨降ると大変そうだね。何処で雨宿りしてるんだろ。。。

さて次回更新は 6/22 0:00の予定です。📝今年は 前日の6/21が夏至なんですね。この日を境に だんだんと日が短くなってくる。夏は 夜・・・雨など降るも をかし。枕草子を思い出します。風情ある夏であって ほしいけれど こればかりは判らないものね。早く夏も~どの体調にシフトチェンジせねば!みなさまも 体調崩されませんように。今回は このあたりにて。ぐな~ぃ!

わすれな・めも ・・・ 20250619 14:30 今日の午前中に髪を切ってきた。

📖 article no.1557
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 🌁| Comment(98) | 1975年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月18日

皐月も後半 う² 近づく気配も近いのか?

昨年の春よりは おだやか(一時気温の乱高下もひどかったけれども)に陽気が推移していると思ったら やはり気温は高めなのかな。もう夏ものを出しました。と言っても衣替えするような量はないんだけれども 出しておかないと お色直し多発に季節になると洗濯が追い付かない。まして ばいう~(う²=梅雨💣😵)になるとね。九州南部は梅雨入りしたとか。(この記事は 5/16金曜日の午後に書いています。)
  
ヒルガオが咲きだしてました。子供の頃は 夏になってヒルガオの花を取ると雨になるとか言ってたけれど あれってやっぱり迷信だったんだろうね。ヒルガオで思い出したけれど 東京・入谷の朝顔・ほうずき市も 7月頭には賑わうんだろうね。千葉公園のオオガハスも大きくなり始めているんだろうな。今年は 見に行けるかな?
  
ちょっと前には ひとつふたつだったのに 公園の桜(多分オオシマザクラ)の木には ”んぼ”が かなりたくさんなってたYO!でも食べれるか判らないから取らないけれど。明日は 雨の予報が出ている千葉県北西部湾岸地域ですが もうすでにどんより空。ここ数日 緑臭かった。緑が燃える青臭いにおい。おさまった感じだけれど あれが臭ってくると 虫も多くなるらしいですね。直接関係ないと思うけれど 部屋の中で蚊を確認。なんか やたらゆっくりと 移動していた黒いの(G)も叩いて捨てちゃった。あ!隣の家の方に投げちゃうの忘れてたよ。昨年出てなかったから ホムセンでコン〇ット買ってこなきゃ。ダイ〇ーで 小さいサイズの殺虫スプレーも。庭木は消毒したし 屋根のペンキも塗り替えなきゃ。。。💨💨💨
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🎵さ~てと それでは今回の一曲に。しばらく40年前(1985年シリーズ)が続いたのですが 今後もちょっと続く予定なので 今回は半世紀前の1975年の今頃 チャートを賑わせていた そして前回のチェッカーズ同様に ブームとなっていたグループの登場です。小学校3年に進級して 初めて担任の先生が男の先生になりました。もうベテラン中のベテランの先生で学年主任も請け負っていた先生。怒るとと怖いんだけれど 好きな先生でしたね。毎朝 朝の会から担任の話が 一時間目の半分くらいまで続いちゃってしまうんだけれど すごくその時間の話が面白くて(いろんな話をしてくれて 生まれる前の話や 街での出来事 ジャンルを問わず)一時間目の授業がつぶれてしまうことも幾度かありました。楽しい話だけじゃなくて 怖い話 戦争とかの話や病気の話 悲しい話や驚く話・・・。今思い出しても 義務教育の期間中どの時代にも比べることが出来ない充実した記憶が今でも心のどこかに残っています。面白くはないんですよ。でも昨今 危ぶまれているモラルについての話 子供ながらに考えることが出来て その後の成長の過程で自ら考えることを 判りやすく楽しみながら 身についてきたであろうそんな頃でした。飼っておられたうさぎの耳が 野良猫に嚙まれちゃったとか お風呂の空焚きで火事になるところだったとか まぁ毎日話題が途切れることが無い話は 自分自身で考えることを教えてくれたんじゃないかって 今でも思うんですね。(脱線)そんな担任も何時しか他界されたと聞きましたが 変に偏ることが無い これから大人になって行く上での子供ながらの道徳心は その先生のおかげだったんじゃないかなって。勉強は出来なかったけれどね。まだ素直な子供心があったから身についたのかもね。勉強も同じくらい出来てたらな。。。。そんなころ 今回の一曲に登場するグループのことも ちょこっと触れたことがあった記憶があるんですね。どんな内容だったかは忘れたけれど 否定では なかったように思う。。。人の様相 見え方だけでは判断してはいけないということ。そんな感じだったんだろうけど。そしておいらは そのグループのまとめ役だった方の 生き様や人生観 作品に影響を受けたり惹かれるようになったのでした。
 「港のコーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」 ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1975年04月20日発売 4枚目のシングル。1973年12月「知らず知らずのうちに」でデビュー。当初の主要メンバーは 今でも大活躍中のミュージシャン宇崎竜童を中心に 新井武士 和田静男 元キャロル(矢沢永吉が中心となって 日本語ロックの創成期に活躍したバンド)の相原誠。何といっても印象的だったのは バンドの衣装であった それぞれが
自身の名前から一文字ずつ 胸に書かれたツナギ(服)姿で 演奏していた姿。リーゼントにサングラスという雰囲気は いかにもトッポくて(不良っぽくて)違和感を感じるくらいに 当時の芸能界では異端な雰囲気でしたっけ。しかし 彼らの作品そのものは どこか輸入されたロックとはひと味違った雰囲気が醸し出されて ブルースや演歌の世界観を感じさせる風変わりなテイストがまた 人気の引き金となったわけなんですね。子供だったおいらは その頃は そんなことまでは知りもせず なんか近寄りがたい威圧感を感じながらも 妙な憧れを感じたり 真似事をしてたような記憶がありましたっけ。
宇崎竜童さんは 今でこそシンガーそしてライターとして また多方面で大活躍されているミュージシャンですが このバンドでのデビュー前は まだソロとしてデビューしたばかりの松崎しげる(「愛のメモリー」)のマネージャーとして 裏方家業をされたいたんですね。(ちなみに 松崎しげる ソロデビュー作は「8760回のアイ・ラブ・ユー」1970年 MCAレコード/また彼がソロになる前にグループとして活動していたメンバーは GARO「学生街の喫茶店」の日高富明 堀内護)翌々年 ソロ・シンガーとしてレコードデビュー。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが大ブレイクするきっかけになったのは 今作の一作前「スモーキン・ブギ」(週刊最高セールス第4位 約50万枚の大ヒット)。それに続き今作は メディアへの登場も顕著になり 週刊最高セールス首位獲得 約79万枚の特大ヒット。(当初は「カッコマン・ブギ」のB面でした。)代表作に。そして 何より話題になったのが この作品の歌詞 ”あんた あの子のなんなのさ”(ここ数年某CMでもインスパイアされてますよね。)がこの年の流行語に。作詞は奥様の 阿木燿子。半世紀前の夏場には 誰もがこのセリフを真似されたんじゃないでしょうかね。奥様とのタッグで「横須賀ストーリー」をはじめ 山口百恵さんへ提供されたソングライターとしての数多くの大ヒット作は有名ですよね。1977年には さらにダウン・タウン・ブギウギ・バンドとしての「サクセス/愛しのティナ」も 最高2位 約45万枚の大ヒットも。まぁ 初めて拝見した時は 衝撃受けたけれど 自身のやりたいことをやる そんな生き方に憧れを抱いたことがありましたね。

関係ないけれど 一曲前の「スモーキン・ブギ」。もう今じゃ手にすることもなくなった煙草。まずくて吸えなくなってやめて もう15年近くになるんだよね。葉巻の香って今でも嫌いじゃないけれど 紙煙草の香って 今ではこんなに煙かったけかな?って 流れてくる香りをおぼえる。嫌ではないけれど 吸っていた頃の香って煙たくなかったんだけれどね。眼にしみる煙も何度となく味わったけれど。もう時効?!初めて遊びで吸ったのは 1982年11月頃かな。時が経って 吸うようになってからは ライトじゃない SOME TIME  COOL なんかだったけれど 最終的には LARK MILD だったね。「飛んでイスタンブール」の歌詞にも出てくる GITANES 気に入ってたこともあったね。もう昔のはなし。。。
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ツバメ 先日タケノコを買いに道の駅に再び行ったんだけれど もうツバメは巣から出て大きくなってた。飛び立つ時期も近づいてきているのか。
  
てんてんさんの記事で 登場してた CUP NOODLE 坦坦!あまり最近カップ麺って食べないんだけれど これはヤバいかも。ハマりそうでちょっと怖い。💧CUP NOODLEって 大きいサイズのカレーを買うことが多かったけれど これも麺を食べ終わった後 白米入れたくなっちゃう。でも体重落としている最中だからね。😞腹筋の下の下腹部のたるみをなんとかしなきゃ。とにかく普段の食事もよく何度も噛んで 八分目満腹感を厳守。烏龍茶は必須。あとは運動。滝汗と共にデトックス出来ればいいんだけれどね。そううまくはいかないし。気長に続けなくては!

次回更新は 今月ラスト。5/25 0:00の予定です。📝あ~今晩は 何にしようかな。先にいただく生野菜サラダも必須。ひとりだったら汗かきかき 激辛もの食べたいんだけれど。無理だから生姜とニンニクで身体を温めるもの!何にしよう。。。夕飯前のお悩みタイム。作るのは良いんだけれどね。これが ”悩みの種じゃん!”(「カッコマン・ブギ」の歌詞にも出て来たね。)それじゃ台所に移動しますかね。今回は このあたりにて。このところ また微妙ではあるようですが おいらの界隈地域では コロナ罹患された方が微妙に増えているとか。それに食中毒も増えているし 気をつけないとですね。では ときめきらきらな 一週間になりますように!今回な このあたりにて ぐな~ぃ!

📖 article no.1555
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☁| Comment(81) | 1975年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月27日

世間は GWなんだね~。

風薫る五月も目の前。今年も あの草臭い青臭いというか むせ返るような緑の香りがどこからか流れてくるのでしょうね。ゴールデン・ウィーク・・・皆さんは予定ありますか?関西万博も開幕したし 海外からのツーリストもますます増えて どこも混みあうんだろうな。時間的にも経済的にも余裕ないし 二時間だけのバカンスは ひと気が少なくなった頃に出かけられたらいいんだけれど。期待するのはやめておこうかな。😞すこしづつ時間があるときに 断捨離という程ではないけれど 少しづついらないものを片付けて捨てて。そんなGWになりそうな予感。
あ!記事内容と関係ないんだけれど ブログが完全移行してまもなく一カ月。ここにきて なんか違う?と思っていたことが またひとつ判明。記事を書いている時は判るんだけれど 記事画面に 何記事目という表記も無くなったんですよね。この記事は 1552記事目なんですが セカンドとサードブログの記事は メインの記事にコピー元として書いた非公開もあるので一体何記事目なのか数えないと判らなくなってしまいました。今度から テレビドラマの何話目みたいに 何記事目って書こうかな。
  
公園は つつじ や さつきが満開。白・赤・ピンク・斑入りがそこら中に。冬場に殺風景だった生垣が嘘みたいに華やかすぎる。藤 や 菖蒲池はまだみたい。近所の公園は他と比べると遅めなんですよね。
  
ハナミズキも見頃。あまり好きな感じの花じゃないけれど 新緑になった桜の木の中で 白や薄紅の花が存在感をアピールしてました。
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🎵さてと それでは今回の一曲です。なんとも歌詞の季節感が違うので ちょっと様子見で時期を引っ張っちゃいましたが 今を逃すと年末になっちゃうので重い腰を上げるのでした。1975年(半世紀前)小学校3年に進級したおいらは その頃の記憶ってあまりにも変わり映えしないような頃だったので 記憶が薄いんですね。流行歌も前年あたりからの フォークブームで 子供が腰を据えて聴くようなタイプではないから ヒット曲も良く判らなかった。この年は 山口百恵さんは比較的地味目な作品が多くて ライヴァルであった桜田淳子が飛躍してトップの座に。そこに 伊藤咲子や人気がひと段落してきたアグネス・チャンやら浅田美代子が後を追って この年のアイドルは地味目で不作気味の中 じわりじわりと次のトップを目指す岩崎宏美が注目株となっていて頃。でも 全体的に相変わらず演歌は強いし 前出のフォーク系作品(フォーク系のアーティストが流行歌手に作品を提供も多かった)が ヒットチャートを賑わせていました。今回の一曲は 今でこそ昭和の名曲だと理解してますが 子供だったおいらは 苦手だったな。テレビで フォークギターを抱えながら歌われる人も多かった気がするのでした。季語としては 春に当たるようなんですが 今回の一曲のタイトルに掲げられた花は クリスマス時期に花屋さんの店先に並ぶイメージが強いので 春真っ只中の今の時期には もう終わりかけに思えてしまうのです。
 「シクラメンのかほり」 布施 明 1975年04月10日発売 35枚目のシングル。1965年5月にカンツォーネ(イタリア)の名曲「君に涙とほほえみを」のカバーでデビュー。まもなくデビュー60周年となるんですね。(脱線しちゃうんですが デビュー当時の写真が 植木等さんにそっくり。植木さんの芸風を引きずっちゃいそう。💣でも当時は そんな細面な雰囲気が今でいうイケメンだったんですよね。後の沢田研二さん然り。)大手芸能プロダクションに所属されて 並外れた歌唱力で 「おもいで」「霧の摩周湖」「恋」「愛の園」「愛は不死鳥」「そっとおやすみ」「マイ・ウェイ」「甘い十字架」「積木の部屋」等々 次々大ヒットを世に送り出してきました。
デビュー10周年ということもあったと思いますが 決定打となる作品「シクラメンのかほり」を フォークシンガーで当時銀行員だった小椋 佳さんから提供されるんですよね。小椋 佳さんは あくまで御自身は銀行員という立場を屈せず音楽活動は ほとんど表舞台に姿を見せない謎の存在でもあったんですね。しかし その人気は フォークブームに乗りアルバムは常に売れ続けチャートの上位に君臨しロングセラー作多数。しかし作品を提供された 布施 明さん自身は 乗り気ではなくこんな作品売れないと歌うことを渋っていたとの後談も。しかし いざリリースされると 当時としては珍しく発売直後に 週刊売り上げチャートのベスト3にランクイン一か月後には 初の首位を獲得。異例の大ヒットに。約4カ月間のベストテンヒットの後 次のシングル「傾いた道しるべ」と入れ替わるように ランキングを下げて行くのですが その後もじわじわとロングセラーを続け 年末の多くの賞レースにノミネートされると再度ベストテンに二作同時ランクイン。さらには作者本人 小椋 佳 盤「めまい/シクラメンのかほり」も 同時にベストテンにランクイン。小椋 佳ブームに拍車がかかった 1975~6年の年末年始チャートを賑わせました。そして布施 明は 念願の 日本歌謡大賞 日本レコード大賞の二冠を達成。小学三年生のおいらは 子供心に重い雰囲気を感じさせる この曲があちこちから聴こえてくるのが 嫌でしょうがなかった。同じ時期に「木綿のハンカチーフ」太田裕美 化け物ヒット「およげ!たいやきくん」子門真人 等のヒットで子供でも好きになれそうなヒット曲が出るようになり レコードというものに興味を持ち始めるんですね。そして年が明けて翌年のお年玉で 岩崎宏美「ファンタジー」を買い 今まで続くコレクターの道を歩き始めることに。ほんとは 以前も登場した となりに住んでいた変わった姉さん(ヤブカラシの花を気に入って家に持ち帰り 水の入ったコップに飾り 母親に汚いから捨てなさいと諭されて おいらに愚痴こぼすんだもん。でも変わった姉さんのおかげで 「木綿のハンカチーフ」も知ることになるし アップル・パイというものを知るきっかけになったわけで・・・。まぁ良しとするのでありました。あ!おいらが変になったのも彼女の影響なのか?!それは判らない。)
脱線しちゃったけれど あれから随分と時が巡り来て 疲れるということを知るようになったから「シクラメンのかほり」の歌詞は胸を打つようになるんですよね。もう呼び戻すことが出来ない時間。。。惜しむ気持ちは どうしようも出来ないけれど 如何に前向きでこれからをと 学校帰りのうるさいくらいに賑やかな子供に おいらのあの頃を重ねるのでした。

1975年・・・沖縄海洋博行きたかったな。。。この年は 他にも 紅茶きのこ ネッシー騒動 ジョーズなどのキーワードが賑わせましたっけ。ザ・ピーナッツが解散したのもこの年の4月。
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運転中通りかかると 何気なく視線を感じる 自転車修理屋さんのマスコットキャラ?!R14 西船橋 中山競馬場入口交差点付近。これから暑くなっても帽子被って店番するのだろうね。(意味は ないのですよ。)
  
こちらも 飛び立つ準備になったようですね。

先日 雨あがりの日だったのかな?外に出たらかなり湿気を感じて汗びっしょり。今年もお色直し時期が来たのかと実感したのですが やはり気温よりも湿度の方が身体へ負担も多いです。まだ身体が陽気になれていないと 気分悪くなっちゃったりだるびっしゅ気味になってしまうことも多そうです。みなさまも 体調崩されませんように。今年も 早めの水分塩分補給が必須になりそうですね!
ちょっとストレス気味なのか 右腕の微妙な腱鞘炎と 左手 母指球筋辺りの微妙な痙攣がある時があるので ゆっくりまったりで様子をみています。大したことは無いんですが 月末やたら忙しなく動いていたからかな。コメントのお返し みなさんのところへのお邪魔たいむ ぷち・ゆっくり回りたく思っています。
次回更新は 5/4 0:00の予定です。📝 今回は このあたりにて ぐな~ぃ!

📖 article no.1552

 ついき ・・・ 20250501 0:00 明菜ちゃん デビュー43周年(スローモーション記念日)おめでとう!
posted by ゆうのすけ at 00:00| 千葉 ☁| Comment(105) | 1975年のヒット曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする